企画展【田辺聖子と文学賞―受賞と選考と―】・・・大阪府立中央図書館と大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館の共催事業
●6月29日(土)午後、“大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館見学ツアー”があります。申込は、大阪府立中央図書館のHPから。
●《以下は、『樹林』2007年11月号に載せてある小原の寄稿文を再構成しました――》
文校出身の大先輩・田辺聖子さん(1928年~2019年)は、樟蔭女子専門学校[現在の大阪樟蔭女子大学]卒業後、金物問屋事務員などを経て、1956年27歳のとき、大阪文学学校に通うようになります。
それから8年余りして、ついに田辺さんは、同人誌『航路』に発表した「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第50回(1963年度下半期)芥川賞を射止めました。『新潮』や『文學界』など東京の商業文芸誌に載った他の8編の候補作を押しのけて、同人雑誌から受賞したことに意味がありました。しかもその当時にあっては、関西在住者から初めての芥川賞作家の誕生でした。
受賞作「感傷旅行」は、試行錯誤のなかで昂揚感に包まれた草創期の放送局を借景にし、女性の放送作家が共産党員と恋愛しそこで巻き起こる悲喜劇を、同じ放送作家の男の目から描いたものです。
田辺さんの『楽天少女 通ります~私の履歴書』(日本経済新聞社/1998年)のなかに、<純文学の芥川賞を受けられたのに、大衆文学をもっぱら書かれる理由はなんですか>というインタビューを受けて、次のように思ったとあります。<昔から双方そんなに意識していない。落つれば同じ滝川の水、読む人の心をうち、発想を転換させたり慰めたり、勇気づけたり、面白がらせたりすれば、種類は変っても文学価値は同じ>と。
●田辺さんの芥川賞受賞作「感傷旅行」を産みだした同人誌『航路』は、文校には44号中30冊が残っていますが、残念ながら受賞作が載っていた号(第7号)は欠号。それでも、30冊中4冊に田辺さんの作品が載っています。2023年3月23日・文校ブログ参照。
●上に載せてあるチラシは昨晩、今春の通教部新入生・海本さん(岡山県倉敷市)の娘さんが持って来てくれたものです。大阪に住んでいる娘さんは今春から、大阪府立中央図書館に勤務するようになったのだそうです。
(小原)