《秋期14人目の新入生》茨城県鹿嶋市の68歳男性が、難波で開かれる“ブルースフェスティバル”を観に来たついでに文校に立ち寄り、通教部/詩・エッセイクラスへ入学を申し込む。
茨城県の男性から文校事務局へ電話があったのは、1週間ほど前。
9月16日(月・休日)、なんばHatchでおこなわれる“なにわブルースフェスティバル2024”<午後3時開場>を観に行くので、その前の午後1時ごろそちらに伺いたい、入学手続きもしたい、ということだった。
それで今日は、休みを返上し事務局で待ち構えていた次第。
手渡した「入学申込書」にさっさとボールペンで書き込んでくれ、その上でいろいろと1時間ほど雑談をした。これが面白かった。
◎「今朝4時15分に車で家を出て、東京駅の近くに停めた。6時の始発の新幹線に乗った。ブルースフェスティバルを観たあと、夜行バスで帰りたかったがチケットが取れなかったので、帰りもまた新幹線にする。東京駅からは車でもどる」――→いやはや、たいへんな強行軍!
◎「音楽全般に関心があって、ほうぼうのコンサートに行っている」――→自らは楽器はやらないらしい。
◎「3年前に、東京の某カルチャーセンターに月1回行っていたが、物足りなかった。そのころ、朝日新聞で大阪文学学校のことは知った」
◎「学生時代に買った小野十三郎の全集を今も持っている」――→事務局内にある小野さんの著作コーナーに来てもらったら、これです、と指差した。『定本 小野十三郎全詩集 1926-1974』(立風書房/1979年初版/定価五千円)だった。箱入りの大型本で総ページは800を超える。
◎「庄野潤三(「プールサイド小景」で芥川賞)のファンでこの7月、神奈川近代文学館であった“庄野潤三展”を観に行ってきた。庄野さんも文校の講師をされていたの?」――→小野さんと親しかったから何度か講義にきてくれているとは思うが、定期的に講師(チューター)としては関わっていないと思う。
◎「小野さんは戦後、吉本興業とも関わりがあったですよね」――→どこかで読んだことがある。当時の芸人たちとも付き合いがあったようだ。
●帰りがけ、茨城と言えば“霞ヶ浦”という話になり、思い出したことがあった。もう30年近く前になるが、千葉県に住んで霞ヶ浦高校の国語教師だった男が通教部にいたのだ。4年間ほどの間、スクーリングには毎回ゲタを履いて来ていた。音を立てない歩き方を心得ていた。高校にもゲタで通っているとのことだった。ただ酒癖が悪く、大阪に来るとき新幹線の中で酔っ払ってしまい、文校に到着したときには合評会に参加できるような状態ではなく、羽交い絞めにして参加をストップさせたことがあった。
数年前に70数歳でガンで亡くなった元国語教師にはとても感謝していることが二つある。一つは、2019年の第24回までつづいた関東ミニ文学学校(コロナもあって今は休止中)を中心的に立ち上げてくれたこと。彼が手配してくれた第1回の会場は茨城県土浦の霞ヶ浦湖畔だった。関東地方の通教部生のほかに、東京から長谷川龍生(当時・文校校長)、大阪からは高畠寛(当時・代表理事)と小原が駆けつけ総勢で10名集った。
もう一つは、絵画方面にも才能があり、“大阪文学学校通教部スクーリング”と色つきで大書きした大横断幕をつくってくれたのだ。それは、今でも年4回のスクーリングのとき掲げられている。
(小原)