【好書好日/朝日新聞オンライン】太宰治賞・市街地ギャオさん 承認欲求から脱し、「ただ書きたくて」1年で7つの文学賞に応募 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#17
【9/17 好書好日(こうしょこうじつ)】連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」
――――以下、一部紹介――――
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【文学学校で知った自身の不純】
応募に際してきちんと小説を学ぼうと「大阪文学学校」という小説教室に通いはじめた。そこで金原ひとみさんが好きなら純文学の新人賞だよとアドバイスを受け、広告で見た文学賞のほかに文學界新人賞とすばる文学賞にも応募。
「どれも一次も通らず、書くのをやめてしまいました。というのも、大阪文学学校で知り合った人たちの中には、小説を書くことで何とか生き延びているような人がいて。その人たちを見ていると、自分の不純さに気づいてしまったんです。自分は誰かにすごいなって褒められたくて、自分を大きくみせるために小説を書いてるんじゃないかなって。そんな奴に小説を書く才能があるわけないって思いました。新人賞の落選がダメ押しになって、そこから学校に通うのもやめ、4年間なにも書きませんでした」
その間にも学校で知り合った友人は同人誌で小説を発表し続け、優秀な作品として文芸誌で取り上げられることもあった。それをギャオさんは素直に応援し、友人の活躍を喜び、そして小説と自分との距離感を見つめ直したそう。
「その人は、小説で何かを成そうとしていない。〈小説とその人がただそこにある〉みたいな距離感だったんです。30歳になったとき、今だったら自分もいやらしい思いを入れずに小説を書ける気がして、また学校に入り直しました」
なぜそのタイミングだったのだろう。
「小説を書くのをやめていた間に、パートナーと同棲したり、一人暮らしに戻ったり、転職したりと、生活ががらりと変わることが続きました。それが30歳でようやく落ち着き、時間にも気持ちにも余裕が持てるようになったんです。ゴタゴタの間にいろいろ諦めた結果、そもそも小説を書いて誰かに褒められたところで……という境地に達したことも大きい。ふと、ただ書きたいと思ったんです」
【締め切りがほしくて応募】
飽き性なのを見越して、とりあえず1年限定で小説を書き続けることを決心し、その間に出せる純文学の新人賞は全部応募すると決めた。応募の理由は「締め切りがほしいから」。
「学校に通ったのも、小説提出の締め切りがあってモチベーションが保てると思ったからなんです。文學界、群像、すばる、新潮、文藝の五大新人賞と太宰治賞、ことばと新人賞の7つに応募しました。同時並行はせず、だいたい2か月に1作のペースで書いていました。3月末が締め切りの賞が多かったので、最後の方は2週間で1作を書き上げることも」
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(小原)