故嶺月耀平さんの作品集が、夏当チューターと二人の在校生の手で編まれる。
当時夜間部生だった嶺月耀平さんが急逝されたのは、去年10月4日のこと。16年間も文学学校に通われていて81歳でした。亡くなるその日も教室の一隅で、「文校ニュース」の丁合作業を手伝ってくれていました。
その嶺月の“遺稿集”ともいうべき『嶺月耀平作品集』が、昼間部の夏当チューター、在校生の山本佳子さん(夜・平野クラス)、須永和子さん(昼・夏当クラス)3名の手によって製本されました。嶺月さんは独り暮らしだったので、3名がパソコン打ち込みや作成費用を出し合ったに相違ありません。それほど、嶺月さんは多くの人から慕われていました。
3名の“編集後記”のほんの一部を、抜粋してみます。
「・・・人間の本性を知っているということだろうか。嶺月さんが孤独に生きぬいてきた姿と重なり、残しておきたい戦中戦後の人間の実感だと思えた」(夏当)
「同人誌に・・・嶺月さんが書いた文章を引用させていただく。『百歳までは生きようと思う。世の成り行きを見つづけたいのだ。文学学校で創作の面白さに惹かれてすでに五十作以上の短編を物した・・・これからも書きつづけるほかなし』」(山本)
「生きるために自分の思いを深く深く押し込めて暮らしてこられた。そして、自分だけの文章を研いで研いで書き連ねた。何度辞書を引いたことだろう。何度書き直したことだろう」(須永)
『嶺月耀平作品集』、文校事務局に十数冊あります。
ほしい方は、連絡ください。3名から、無料でお分けして、とのことです。
(小原)