文校ブログ

ブログメニュー
カテゴリー
最近の記事
バックナンバー
年別アーカイブ

月別アーカイブ

2024年11月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

17(日)~18(月・海の日)夏季合宿の報告・・・大型バスをチャーターし“熊野三山・新宮への旅”に41名。松山・岡山・名古屋(2名)・神奈川・東京(2名)からも参加者。創作が上達しますようにと参拝し、勉強し、車座で酒を飲みながら懇談しました。

1984年発行の「大阪文学学校・30年略年表」によると、今の形の夏季合宿がはじまったのは、80年(昭和55年)7月のことで、大阪・奈良府県境の信貴山でした。それ以来、数えて43回目(昨年と一昨年はコロナのために代替企画として自宅Zoomによる作品合評会)の今回は、今までで一番の遠出となりました。しかも、大型バスを貸し切って、みんなで一緒に行くということも初めてのことでした。新宮市内の“民宿”に泊まった41名のうち、一人の文校修了生だけバスではなく、東京からカッコよく1500CCのバイクで駆けつけてきました。


17日(日)午前9時。文校の入るビルに横付けされた奈良交通の49人乗り大型バスで出発。講師陣から中塚鞠子・昼間部チューターと塚田源秀・通教部チューター、事務局からぼくと佐々木鈴が乗り込みました。コロナのため、ビールも飲めず、文学クイズやカラオケをやれないのが悔しい。


午前11時。“日本一”面積の広い村である奈良県十津川村の「谷瀬の吊り橋」。その袂に、長さ297メートルは“日本最長”との看板があった。最初は見学だけのつもりだったのに、渡り始める文校生が続出。皆こわごわで、向こう岸までたどり着いた者はいない。
「谷瀬の吊り橋」到着の前後、170キロ(停留所168カ所)という“日本一”の走行距離をもつ大和八木(橿原)⇔新宮間の路線バスと同じ狭い道路をたどる。わが大型バスは途中、対向車とすれ違うとき何度、一時停止やバックを繰り返したことだろうか。


熊野本宮大社(付近で各自昼食)を経て、午後3時に佐藤春夫記念館に到着。東京で佐藤春夫が住んでいたサンルームの付いた館を、郷里の新宮に移築してきて記念館にしている。辻本雄一館長の説明で、部屋をめぐりながら佐藤の文学的足跡をたどる。
すぐ近くの熊野速玉(はやたま)大社のお詣りをする。樹齢千年近い梛(なぎ)の大樹というものに出会う。さすが、知っている文校生がいてその人から、葉っぱの葉脈が縦に走っていること(平行脈)を教えられ、一同ホオッと感嘆。<別なところの土産物屋で、ぼくはその梛の高さ15センチの苗木を買い求めた。>
その後、新宮市立図書館に移動し、その中でかなりのスペースをとっている中上健次コーナーで著作や資料を食い入るように見て回った。
その際ぼくは、新宮出身の文校OG・平本亮子さんがセッティングしてくれた、地元の日刊紙「熊野新聞社」の取材を受けた。


民宿に着いてまもなく、新宮が生んだ作家・中上健次についての辻本雄一・佐藤春夫記念館館長による60分間の講演がはじまった。辻本さんは、自ら作成した中上の略年譜(B4紙・4枚)をもとに話される。中上が、文校で講演(タイトル「物語の定型」)をした日時が、1978(昭和53)年7月11日であることを教えていただいた。それは、「岬」で芥川賞を受賞した2年後、中上31歳のとき。
文校の通教部本科のテキスト(講義録集3)に、中上の講演録が載っているので、文校で講演してもらっていることは明らかだったのだが、おこなわれた日時が、テキストや「30年略年表」などどこにも見当たらないままだったのだ。
新宮高校(辻本さんは中上の1学年上)を卒業して東京へ向かった中上。作家になってからも、たびたび新宮に戻って来て、文化活動にいそしんでいる様が、辻本さんのお話の中で強く印象に残った。「部落青年文化会」を組織し連続公開講座(金時鐘さんも講師を務めている)を開いたり、高校の同級生を中心に「隈ノ会」を結成したり、今もつづく市民講座「熊野大学」を発足させたりしている。また、日ごろから懇意にしていた歌手の都はるみを新宮に招いて、神社の境内で何度か歌ってもらっている。


午後6時半ごろ、諸さやかさんの音頭で乾杯し夕食会。飲み会・懇談会は、場所を何度か替え、大方は午前0時まで、それ以降もつづけ午前3時までの者たちがいたらしい。


2日目。午前7時起床で、8時に民宿を出発。熊野那智大社とそれに隣接する那智山青岸渡寺へ向かう。バスを降りてから、長いながい石段で何度も立ち止まるも、息を切らしながら全員たどり着く。文校のもよりの地下鉄谷6のホームから文校教室までの3つの階段をあわせると147段。その3倍は、登ったのではなかろうか・・・・・・。
それから、今度は下ってくだって、那智大社の別宮である飛瀧(ひろう)神社へ。本殿や拝殿はなく、そのご神体である、133メートルの落差“日本一”という那智の滝を直接拝む。ここの拝所で、記念撮影。
その後、串本の橋杭岩(はしぐいいわ)、白浜のとれとれ市場で休憩や昼食をとり、バスの文校到着は午後5時前。

何度も“日本一”につきあった2日間の旅でした。

●学生委員会は、今回の合宿参加者による【文集】の発行を予定しています。お楽しみに!

◆創意と実行力で夏季合宿を全面的に取り仕切った、谷良一学生委員長、諸さやかイベント部キャップをはじめとする学生委員会の皆さん、ほんとうにご苦労様でした。更には、オブザバーとして企画段階からアドバイスをおくり、当日は「バスガイド」役もこなした修了生の平本亮子さん(元・イベント部キャップ)、上に載せた写真を提供してくれた休学生の新谷翔さん(元・学生委員長)にも感謝します。

(小原)