在校生の声
24秋 入学生の想い
昼間部本科 田中 ひかり (兵庫県)
奇人・変人・文人になりたい
私は奇人・変人が大好きだ。
自分の中での奇人・変人の境目もないし定義もあやふやだけど。とにかく『普通』じゃない人。誤解があるので、もう少し補足すると「『大多数』や『常識』には囚われない、譲れない何かを持った人」みたいな。何故こんなに魅了されるかというと、私自身が「大多数」や「常識」にがんじがらめで骨の髄まで浸食されている「普通」だからだ。私は同調圧力と不文律だらけのド田舎で生まれ育った。何でも「みんな一緒」で、大人も子供も金太郎飴みたいな世界。……ちょっと言い過ぎた。ごめんなさい。それも一つの生き方として尊く素晴らしい。悪いところばかりじゃない。でも……、それが正直しんどい。「普通」からはみ出ないように必死に生きることに辟易していた。奇人・変人はそんな私を一笑し勇気と希望を与えてくれる。そんな気がした。
大阪文学学校に行けば奇人・変人に出会えるんじゃないかと思った。予想通りだった。いや、人に会うより先に建物に驚いた。初めて文学学校を訪れた時、「アジトだ!」「巣窟だ!」と思った。失礼なことを言っているかもしれない。本当にごめんなさい。でも、決して侮辱している訳ではない。本当にただならぬ雰囲気だった。何かの秘密結社か密教か。魑魅魍魎が隠遁しているのか。何かが蠢いているような。何かが扇動しているような。入る前からワクワクが止まらなかった。鼻血が吹き出そうだった。でも足を踏み入れたら最後、現実世界には戻って来れないんじゃないかと思った。愛する息子と夫の顔がよぎったが、よぎりながら足を踏み入れていた。好奇心には勝てなかった。文学学校で初めて小説家や詩人に出会った。びっくりした。そんな人たちが実際に存在することに感動した。やっぱり奇人・変人だった。嬉しくて咆哮しそうになった。
入学式も面白かった。次から次へと奇人・変人が出てくる。夢のようだった。誰もが熱く文学を語る。文学を通して自分自身や自分の人生を語る。「文学は自分との対話だ」という言葉に痺れた。むちゃくちゃ格好良かった。「文人だ!」と思った。しかも変態的文人。オシッコがチビりそうだった。46歳の私より年上の方がほとんどだったと思う。どの方も文学を語る時、輝いていた。そんな人生の先輩を見たことがなかった。入学式だけで授業料の12万9千円はチャラになった。そんな気がした。
入学式の後の歓迎会もこれまた面白かった。新入生も奇人・変人・文人だらけだった。小説が書けず大学を休学をしてここに入学した若者。「ずっと小説を書き続け賞にも落ちまくり、でも諦められず入学した」と紹介されていた男性。むっちゃくちゃ格好良い。人生を懸けてそこまで諦められない、手放せないものがあるなんて凄い! と思った。私もそんな人生を歩みたい。文学学校の人たちは、チューターも生徒も老いも若きも、私の「北極星」だと思った。北極星は動かない星、旅人にとっての指針だ。迷ったり立ち止まっても目指す場所を明るく指し示してくれる。私も人生を懸けて譲れない、無我夢中になるようなものを持ちたい。そして奇人・変人・文人のどれか、……いや、願わくば全部になってみたい。そう思った。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・11・30〉
24秋 入学生の想い
昼間部本科 糸川 トシ子 (大阪府/86歳)
覚悟と勇気
一度目の入学は七十才の時だった。夫を見送って一人ぽっちになっていた頃、友人から上手な誘われ方でたいした考えもなく、つい入学を決めてしまった。一年半ほど在学してやっと書くことの面白さが解りかけた頃、息子の発病で病院通いが忙しくなり退学せざるを得なかった。
それから十五年が過ぎた。その間、息子の死、その後は子供のいない姉の介護で毎月大阪と東京の間を八年間通い詰めた。姉の死後、気が付いたら私は八十六才になっていた。
大切な人達を次つぎと見送って来て、人が死ぬということは残された人の心の中で永久に残ったとしても、物体はいやおうなしに消えてしまうことを思い知らされた。そしていつしか心の中から少しずつ忘れ去られていくに違いない。
自分の年令からしても〝死〟はそう遠いことではないだろう。自分がどんな風にして産まれ、どんな風に生きて来たかを書き留めてみたくなった。子や孫にもこの事を知ってもらいたいと思う。この世に生を授かったことへの感謝と喜びを感じて欲しいと思う。
認知症と医師から言われたわけではないが、記憶は年と共に失われている。記憶力のあるうちに書かないと書けなくなる、という焦りに私は追い詰められた。
文学学校に再入学しよう、という一歩がなかなか踏み出せないでいた。第一『この年令で小説なんか書けるだろうか』第二『皆の前で合評なんて言えるだろうか』第三『文学学校のある谷町六丁目まで辿り着けるだろうか』などの不安が先に立ち躊躇した。
九月には行くか留まるかの選択をしなくてはならない。行かずに後悔するよりは、行って後悔した方がましだと入学することを選んだ。
この決心はかなりの覚悟と勇気のいることだった。小説がまだ書けていなかったら『書けていません』と言ったらいい。合評が上手に言えなかったら『分りません』と言おう。谷町六丁目まで辿り着けなければそれでもいい。蹴躓(けつまず)いて倒れたら誰かに助けてもらおう。そう決めたら気が楽になった。
しかし、まだある。自分の生活のリズムが大きく変わることだ。日常生活の中で『書く』ことと『読む』ことにかなりの時間が取られるだろう。長年通っていた陶芸教室の作品に時間を掛けられなくなることは目に見えている。老人体操にも欠席することが多くなるだろう。作品提出に追われたら、友達と世間話をする機会も少なくなるだろうし、冷蔵庫の食べ物がなくなっても買い物は後まわしになるだろう。
これらを覚悟の上で何処まで続けられるかどうか、行きつく所までで〝よし〟としよう。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・11・30〉
24秋 入学生の想い
夜間部本科 當山(とうやま) 晴香 (大阪府/23歳)
想像以上の未来にかけてみる
想像できることは起こらない。これは私の持論だ。
いつか一緒に酒を酌み交わそうと思っていた親が二十歳になる頃には死んでいたり、過剰な量の宿題に不満を抱き、幼い頃は「明日にでも暴れて辞めてやる」と常に企んでいた公文式に傾倒し、結局十三年も通って「お姉ちゃんも早く卒業出来ると良いね」と小学生に落第生扱いされたり、沖縄の片田舎に生まれてその地で死ぬものと予感していた私が、大阪谷町の居酒屋に毎週通うイケてるシティガールになったり。漠然と立てた未来予想は大方外れる。人生とは期待外れの連続である。
大学四年で突然休学し、フラフラしている現在も不本意に得た未来の一つだ。去年の今頃の私は、一年後の自分が難関選考を突破し憧れの出版社に内定しているか、早々に諦めて堅実な勤め先を見つけているかの、どちらかの道を辿ると思っていた。しかし、現実はそのどちらでもない。私は今、履歴書も卒論も書かず、文学学校入学にあたっての抱負を書かされている。去年の私が知ったら泣いて喜ぶだろう。というのは皮肉だが、文学学校に出会えたことの喜びは決して嘘ではない。
挫折を経験し、夢への執着も失い、燃え尽き気味になって無気力な休学生活を始めた時期に、偶然文校の存在を知った。その数日後、体験入学に参加し、翌日入学を申し込んだ。元々、作家にはなれないと思って編集者を志望した私だ。書くことを諦め、書かせることを諦めて、また書くことに帰着するのは話の筋として出来すぎているくらいだと感じた。軽率に運命を感じる時、私は考える間もなく選択する。恐らくそのことも、人生設計を狂わす要因の一つだが、それで後悔したことはない。今度も私は外さなかった。初めての合評を終え、私は夜道をスキップして帰った。年の離れた大人と品定めの視線抜きで言葉を交わすことは久しぶりだった。未熟な私の発言を聞く人々の、それぞれに頷く動作がどうにも嬉しかった。また、ゼミに集まった人達の作品を読み、話を聞くうちに、自分の挫折はありふれたものだと知った。一人でいた時はたった一度の失敗で、自分が世界で一番ろくでなし、ものを食べる価値もない落ちこぼれだと勘違いしていた。今は「おくまん」でたらふく食べる。予想通りでなくとも、今が幸せで、自分にとって大事な時間だと思える。
想像通りの人生を歩めない私は、今後もあまり未来に期待せず生きていくつもりだ。そういう訳で、とんでもなくBIGな賞を獲って大阪文学学校の校長になるとか、大勢の人を自作で感涙させるといった壮大な抱負を掲げて自分を鼓舞することは出来ない。違えることを恐れて書き続けることさえ誓わない。しかし、自分が心救われた、作品に対する真摯な読みや、意見の受容を他の人にも返したいと考えている。あとはこの期待外れの日々に感謝して、気張らず創作に励むこととしたい。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・11・30〉
課題ハガキ
文学学校入学にあたって
昼間部本科 小伊里スア (大阪府)
高校から憧れていた文校
高校生の頃に田辺聖子さんの作品と出会いました。
その時の年齢特有の閉塞感も相まって、不安で行き詰っている毎日を過ごしていた私には、とても大きな出会いでした。
描かれる登場人物たちは、酸いも甘いも噛みしめ、人生を軽やかに楽しんでいるように感じ、きっと大人になればこんな風に生きられる、と励まされるような気持ちで貪るように読む毎日。大人になった自分が、楽しく生きているのを想像できなかった私に「こんな風に生きてみたら?」と様々な道を指示してくれたのが、彼女の小説です。
年齢を重ね、大人になった今、辛いことも嬉しいことも味わいつくしてやる! と意気込めるのは、田辺作品を読んできたからこそ、私の中に芽生えている気持ちなのだと思います。
いつか彼女が通っていた大阪文学学校に自分も行けたらいいなぁと思ったのが、同じく高校生の頃。そんな憧れを現実にすべく入学した文校で、自分も初めて小説を書いてみている今、改めて田辺作品を読み返し、その凄さに圧倒されています。
でも、圧倒されたり、憧れている場合ではなく、今はとにかく書かなければいけません。もうすぐ自分の作品の合評があります。
他の皆さんと比べると、ふわふわと入学してしまった私ですが、あの頃の自分に「なんと、私は大人になって憧れの文校に通い、小説を書いて楽しくやっているよ!」と胸を張って言ってあげられるよう、しっかり書くことと向き合っていこうと思います。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・12・24〉
課題ハガキ
文学学校入学にあたって
通教部本科 石沢 千鶴子 (神奈川県)
好きなことは?
時間だけはたっぷりあるが頭はますます回らなくなってきている中、所属していた同人誌が廃刊になった。
しばらくの間、テレビばかり見ていた。楽しかった。だが、これでいいのだろうか。自分の好きなことは何だろう。改めて考えてみる。本は読んでいるが、活字ばかり追っていても目と頭が痛くなってくる。
その頃、とっていた三田文学の同人雑誌評で「樹林」を見つけた。ネットで入学要項を見る。決して安価な額ではない。自分の年齢的なこともある。しばらく迷う。が、頭から離れない。入らせていただくことにした。
入学して初めて在校生や卒業生の皆様のご活躍を知り、圧倒される。様々ある教室、課題、宿題、等々、今まで好き勝手に呑気に暮らしてきた私は、新たな所に入りアップアップしている。でも、できるだけ頑張って皆さんについていこうと思っている。どうぞ、よろしくお願いいたします。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・12・24〉
課題ハガキ
私の歩んできた道
通教部本科 北郷(きたごう) 遙斗(はると) (北海道)
京都から北海道へ
私は、京都市伏見区出身の61歳。現在北海道在住ですが、四国に民泊が2軒あるのと、実家や経営コンサル事務所が京都にあって毎月のように関西と行き来してます。他にも東京に業務があるのと、旅行業を始めて九州や沖縄にもちょくちょく行くのとで年に4、50回飛行機に乗ります。
それで、なぜ北海道に行ったかというと、もともと父親が土木職人だったので、中学を出て建築士になろうと伏見工業高校に入った。常にクラスで5番目以内のそこそこ出来たのだが、3年3学期の足場の授業で恐怖で登れず人生初めて挫折した。
そこで、家が貧困だったので社会を変えたいと思い、1浪後立命館大学法学部に入学して学生運動に明け暮れた。その結果留年していよいよ卒業という時、バブル期にかかわらず就職活動に全滅して人生2度目の挫折をした。
そして、このままではだめだと思い、人生変えようと生まれ変わるつもりで親に黙って当時あこがれた北海道に移住してかれこれ35年以上になる。
今では、従来の社会保険労務士の仕事は後継にめどをつけ、これから人生の大集成を図ろうと宅建士、建築士と旅行士の資格を取り、それぞれ他の仲間と活動をして、また、おととし教育実習に行って教員免許を取得し、フリースクールで不登校生向けに哲学からの生きる力を与えるべく奮闘しています。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・12・24〉
大阪に参上!
通教部本科 美保 一周 (熊本市)
スクーリングの一日
私にとっては二度目のスクーリング。前回はZoomによる参加。今回は樹林に掲載されたこともあり、熊本より足を運んだ。
当日朝、早めの新幹線に乗り、時刻表通り10時21分新大阪駅着。地下鉄に乗りなんばへ。時間潰しに界隈を歩いて巡ることにした。
茂造じいさんの姿を頭に浮かべながらなんばグランド花月の前を通り、黒門市場のアーケードを、海外からのお客さんばかりと驚きながら端から端まで往復。なんばグランド花月から黒門市場へと向かう道中、歴代キングオブコントチャンピオン、ビスケットブラザーズの一人(名前が思い浮かばず、すれ違ったあとスマホで調べると原田さんと判明)と遭遇。大阪にいると実感しつつ、まだメジャーどころの芸人さんに出逢わないかとの田舎者感は戒めました。
なんば駅方面へと戻って、カレーに初めてソースをかけその美味に驚いた自由軒の名物カレーを食す。織田作之助の写真パネルをしかと見て店を退出したのは11時40分。講話開始までの時間潰しを思うと人見知りの質がもたげてきて、早く着いてもとスマホで調べると歩いて30分ほどとわかり、ちょうどいいと歩いて行くことにした。
暑いは暑いものの、初めて文学学校に足を踏み入れる緊張はほどよくまぎれて、また周囲の風景のあたらしさもあり、地下鉄で行けばよかったと後悔することもなく、手前のコンビニに寄り飲料水を購入して、いよいよの到着。3階まで階段を上り受付をしたのが、12時20分頃であった。
並んだパイプ椅子が続けて空いていた列の中ほどにそそくさと座り、滲んだ汗を冷房の気に晒す心地よさで緊張を紛らわせていると、講話の開始時刻12時30分と相成った。その間、前後に座られた方から話しかけられることもなく、私の人見知りの質を嫌になることもないまま、心身状態共良好の耳には水の流れるが如く、津木林チューターの講話は入ってきた。
自身の経験の小説への活かし方、小説は毎日少しずつでも書くことが大事、との話は、私が日頃思っていることと重なって、自信となる。すぐさま、まだまだ甘ちゃんだと戒めました。
講話が終わり合評の開始、とその前の会場設営の際、出身地の先輩でもいらっしゃる小原チューターと組んで机を運ぶ。出身地についての会話を少し交わしただけで心持ちは和らいだ。故郷の話は屈託なくできる。
場も整い、皆さん席について、粛々のうちにいよいよ合評の時間へ。加えて私はトップバッター。書いた内容は中年男の性欲にまつわること。チューターも含め女性は4名。Zoomにも2名女性の方が。文章もまだ稚拙なうえ……何を言われるのかと思えば押し寄せる恐怖を表に出すまいとして、パイプ椅子に背中をもたせ掛け胸の前で両腕を組み、天井を見上げるような、見ようによっては横柄とも受け取られかねない格好で、評価を聞かせていただきました。
ここの設定がおかしい。この表現の意味合いは? 終わり方がもの足りない。前段にもうひとつエピソードを入れると唐突感がなくなる。同じ表現が繰り返されている。読みにくい。言葉の意味がわからない。題名の設定は慎重に。この小説はなかなか入ってこない(まさかの男性の方から)。等々……合間に多少の誉め言葉はありつつ……
耳が痛いこともあった。こんな見方があるのかとの気づきもあった。ちょっぴりの嬉しさもあった。しかし、すべてのご助言が、その表情を目前にできたこともあって、深く、深く、身に沁みた。皆さんが、文字を連ねて新たな世界を生み出そうとしている方々だからこそ、ありがたく、頼もしくもあった。こういった場を求めていたのだ。無論、ほかの方の作品の合評も勉強になった。
合評終了後の、アルコールの偉大な力を借りて本音を垣間見せながらの懇親の場は、楽しい時間だった。
また来るぞと思いつつ下校。上がりかけの夕立を凌ぐために入り込んだアーケードの途中が坂になってると驚きながらも長居はせず(のちにスマホで調べて空堀通と知る)、最寄りの地下鉄の駅へと向かい新大阪駅へ。
改札後の新大阪駅構内で、たこ焼き8個を、なぜに大阪のたこ焼きはかくも美味なのかと思いながら、生ビール(中)とともに食したあと、熊本行きはその日最終の新幹線に乗り込んだ。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・9・28〉
初めての夏季合宿
夜間部専科 竹内華子 (兵庫県)
姫路~福崎~豊岡
去年の合宿にも参加したいと思っていたのですが、仕事の休みが取れずに参加できませんでした。なので今年は日程を聞いてすぐに休みを確保しました。春の文学散歩に参加してクラス外の方と交流できてとても楽しかったこともあり、さらに合宿への思いは高まっていました。しかしわたしは人見知りのため、一人で参加することには抵抗がありました。そこでクラスメイトを勧誘することにしました。一緒に参加しようと、クラスの度に、しつこく声をかけました。しかし、全員に振られてしまいました(涙)。諦めようかとも思いましたが、勇気を出して参加することに決めました。
姫路には何度か行ったことがありますが、夏に訪れたのは初めてでした。涼しいイメージを持って行ったのですが、曇りにも関わらず姫路城はとにかく暑かったです。場内は外国人観光客でいっぱいで、姫路城の人気を知りました。元学芸員という方の説明はとても興味深く、狭間についてや壁の石についての話、城の間取りや形状など、素人だけではわからない視点でお城を見ることができました。お話されている時のキラキラなお顔も印象的で、文校の学生が文学について語る時の顔と同じだと思いました。
次に行った姫路文学館は、全く期待していなかったのですが、絵本作家の黒い健さんの原画展が開催されていて、その絵の素晴らしさに感動しました。どの絵もとても繊細で美しく可愛くて、一日中見続けていたいと思うほど魅せられました。
その後は電車に乗って宿のある福崎町まで移動しました。福崎町の駅にはアマビエとカッパがいました。さらに宿の前にはスマホで自撮りしている赤鬼さんがいて、妖怪で有名な町だということを知りました。
食事は豪華でとても美味しかったです。そしてその後の二次会で、これぞ文校という宴が始まりました。飲めや歌えや、そして、文学について語らえや。どんな作品を書いている、どんな作品を書きたいと思っていると、クラスの壁を超えていろんな方とお話することができました。何名かの方とはラインを交換して、後日作品の交換をしました。文学作品というのは、その人を表す名刺以上の存在だなと思いました。いろんな方の考えに触れることができて、とても刺激され、わたしの創作への意欲も高まりました。
……と、おっとっと。ここまでで字数制限がきてしまいました(笑)
とにかく、とても楽しい二日間の合宿で、参加して良かったです。
〈在籍二年 「学生新聞コスモス」24年9月〉
学生委員会の活動
24年度秋期学生委員長 林 隆司(夜間部研究科)
大阪文学学校(文校)には只者でない人達が集まってきます。文校に入った時点でこれを読んでいるあなたも只者ではありません。その只者では無い人達にどうしたら、楽しんでもらい、喜んでもらい、ワクワクしてもらえるのかを考えて形にするのが私たち学生委員会です。
私は二年半前に文学学校に入って、いや文校に入って学生委員会に所属して、人生が変わりました。コロナ禍の閉塞感の中、在宅介護3年目。先の見えないトンネルの中にいた私でしたが、文校に入学と同時に何かに導かれる様に学生委員会に所属しました。それからというもの毎日が楽しくて、外へ出ればそれまでは、どんよりとしていた風景もすべてのものがキラキラと輝いて見え、毎日ご飯が美味しく、お肌もつるつる、すべすべで……(個人の感想です。効果を保証するものではありません)
そんな学生委員会の各部の活動をご紹介します。
・イベント部:文校の三大イベントである①夏季合宿、②新入生歓迎文学散歩(春・秋)、③文学集会を企画運営します。①夏季合宿は文校の修学旅行です。今年は姫路方面でした。②文学散歩は遠足。昨年秋は大阪新世界界隈。今年の春は大阪四天王寺界隈でした。③文学集会は文校の学園祭。「詩のボクシング」や模擬店で盛り上がります。文校は「大人の集団」ですので各イベントすべて、お酒がついてきます。お楽しみに。
・新聞部:学生委員会の新聞「コスモス」を発行しています。文校オフィシャルの「文校ニュース」が一般紙だとすれば、コスモスはスポーツ新聞の様な位置付けです。文校ニュースとは違った切り口の情報をお知らせします。
・在特部:さて、在校生作品特集号編集部(在特部)です。日本に学校、数あれど在特部が存在するのは文校だけ。文校発行の月刊文芸誌『樹林』のうち、5月と11月に発行される号は、在校生作品特集号として在特部が関わっています。在校生が作品を応募し、在校生の選考委員が掲載作品を選び、在特部が編集・発行します。まさに「文校生の文校生による文校生のための本」を作るのが在特部です。
貴方も学生委員になって、私たちと一緒に普通ではできない経験をしてみませんか。
学生委員会は月曜日に月二回、夜七時から文校教室で行われます。
Zoomでの参加もOKです。見学は常時歓迎いたします。
学生委員会の開催日時、Zoomの情報など、お問い合わせは学生委員会(担当 林)まで、お気軽に。
うちのクラスは
こんなんやで
三本(みもと)綾香
昼間部本科/小説(大西智子クラス)
うちのクラスには変人が集っている。
十六時間連続でソリティアをする人、わたし土を食べたことがあります!という人、小説の学校に来ているのに小説書くの面倒くさい、飽きた!という人など。私自身も変わり者であることを自覚しているので、文校へ来るとホッとする。やっぱりタダで書ける小説を、お金を払ってまで書こうだなんて変な人に違いないよな、としみじみ思う。
合評はほのぼのした雰囲気で、褒めるところを褒め、気になる点は指摘する、というスタイルだ。皆ちょっとずつ変な人なのに、読む力が非常に優れた方ばかりで、ギャップ(?)にびっくりしてしまう。
大西チューターの指摘は特に鋭く、読みが深く、いつも唸らされている。お互い真剣に意見を交わし合い、時に批評し合っても、ぜんぜん嫌な空気にならないうちのクラスのいい雰囲気は、皆の性格のおかげもあるだろうが、ひとえに大西チューターのお人柄の成せる業だろうなと思う。
合評終わりには喫茶店で他愛のない話をする。先日は、「皆さん、前世って何でした?」と土を食べた人が言い出した。わたしは薬缶でした、私は青虫だったかも、いや私は羽毛布団で……などと盛り上がった。
楽しくお喋りしながら、大人になってから出会った人と、こんな話が出来るなんてすごいなあと考えていた。何だか学生だったころに戻って、教室の隅っこでお喋りしているみたいだ。毎週お互いの小説を読み、対等な立場で話すからこそ、ぐっと距離が縮まるのだろう。貴重な場だ。
一人がまた喋り出す。「幽霊って見たことありますか?」うーん、やっぱり変人が集っているからかもしれない。
うちのクラスは
こんなんやで
福森勇次
夜間部本科/小説(西井隆司クラス)
うちのクラスは、とにかく個性という個性を焼いて煮詰めたような、自由奔放な集まりだ。
無職、役人、社長、教員、芸大生——肩書きも人生経験もバラバラ。
たとえば、地元の妖怪に取り憑りつかれてしまった宮崎の青年は、「掛け布団を買う金もない」と嘆き、慈悲深き西井チューターと、Nさん、Tさんのお三方にコートなどを譲ってもらっていた。(なんて優しいクラス!)
極めつけは、チルでダウナーな脱力系ゴスロリメイド。彼女はこの前の授業に、なんとシーシャBarから参加していた。ZOOMの画面越しにゆったり煙をくゆらせる姿に、思わず(マジでパンク!)と心の中で叫んだ。もちろん、彼女が書く作品もどぎついパンク。ドラッグ、パパ活、変態プレイ……なんでもあり。
そう、ここは「なんでもあり」の自由が保障された場所なのだ。それもこれも、西井チューターのおおらかな心がすべてを包み込んでくれるから。だからこそ、私たちは安心して自分をさらけ出し、ぶつかり合うことができる。
――金曜夜、心のまわしを脱ぎ捨てた強者どもがこの教室に寄り集う。
合評は、ぶつかり稽古。さしずめ教室は土俵。
行司を務めるのは西井チューター。アメリカ仕込みの温和な笑顔で、今宵も私たちを見守る。
はっけよい、のこったああ!