●新入生「ハガキ一枚」課題●・・・作品発表・第3弾【通教部・平かよさん<沖縄県>/通教部・加藤三冬さん<東京都>】◆◆未提出の方、急いでください。
今秋の新入生54名のみなさんに提出をもとめている〈課題ハガキ〉の既着分のなかから印象的な作品を紹介する第3弾は、平<たいら>かよさん(通教部・詩エッセイC/沖縄県宮古島市)と加藤三冬<みふゆ>さん(通教部・小説C/東京都文京区)のものです。
第1弾は百武ひらりさんとゆうゆうさんの作品(11/12文校ブログ)、第2弾は内田さん、佐々井サイジさん二人の作品(11/17文校ブログ)でした。
〈課題ハガキ〉の締切は延ばしていて、12月8日(木)までです。提出作品は全て、「文校ニュース」に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。
ハガキの代わりに、メールで送っていただいてもかまいません。 (小原)
☆ ☆
私の歩んできた道 平かよ(通・詩エ・冨上c)
いつも道標となる存在を求め続け、さびしい道のりだったと思う。島で生まれ育ち、男尊女卑の慣習が当たり前で、女であることに負い目を感じ、周りの大人たちに認められるためだけに生きていた。
一生懸命努力して、三度目の試験に受かって教職に就いてみたが、社会も常識も人も、自分さえもまるで変わらなかった。教職は十年で退職。結婚生活は四年で破綻した。
その後子育てしながら、教育・福祉相談職を転々と勤め、親兄妹に支えられて、細々と生活してきた。趣味のヨガもフラダンスも半端で終わり、読書と祈りだけが続いている。シングル、イナカモノ、どちらも悔しい思いをしたが、腹の中でこっそり毒を吐いた。ひとり息子を無事に育て上げて社会に還すことが自分の社会貢献だと思ったから、やりがいもあった。笑いのセンスに溢れたオタクで優しいひげ面の愛すべき男子に仕上がった。
一方で、人生が五十年を過ぎても私の求める指導者にはまだ会えない。正直さびしい。けれど、生まれ育った島にはそれを紛らわせてくれるものがあった。物言わぬ木々や、ざわわのキビ畑、素朴な草花たちである。彼らは台風に晒されても、日照りに焼かれても、必ず再生してみせるのだ。そして見渡せばいつも青い空と海が広がり、夜は星々の光が島を包み、島の彩りに抱かれてきたことを知るのだった。そのたくましさや、けなげさに私自身もまた力を得て、何度も生きなおしてきた。果てないさびしさも抱えつつ、私は今日も祈っている。光の放射のごとく、水面の波紋のように。「善きことよ 拡がれ!」
☆ ☆
最近強く思うこと 加藤三冬(通・小説・美月c)
コロナでの死者数も毎日報道されるが、最近その数字に一喜一憂しなくなり、『ウィズコロナ』に慣れた一方で、思いもよらず手放してしまった感覚について考えてみたい。
これは私の家から最寄りの地下鉄の駅に行く時に必ず前を通る一軒の家の話だ。その家には私の次女と同い年のお嬢さんがいる。
それを教えてくれたのは、青いプラスチックポットに植えられた朝顔である。全く同じものがうちにもあり、小学校は違っても出された宿題は同じで一方的な親近感が芽生え、私にとってその家は風景の一部ではなくなった。
去年の九月のある深夜、帰宅した夫から思いがけない話を聞かされた。帰る道すがら、その家の玄関に喪服の女性四人と制服姿の男の子、その前に白衣に黒い腕章をつけた男性二人、うち一人が白い骨壷を持っているのを目撃したというのだ。これが噂で囁かれている『コロナ葬の流れ』だと二人で確信した。今年の三月末まで、東京都ではコロナ死者の家族の火葬場での立ち会いを制限していたので、こういう形での帰宅となったのだ。家族の無念さを思うと、一気に胸が苦しくなった。こんなに近くにコロナで命を奪われた人がいる。何年経ってもコロナという病を軽く考えてはいけないということを強く心に刻みたい。