今朝(20日)の朝日新聞・文化面・・・朝井まかてさん(文校修了生で直木賞作家)が《富岡多惠子さん追悼》文を寄せる。
上の朝日新聞における朝井まかてさんの寄稿で、“小野十三郎”や“大阪文学学校”に言及したところを抜粋します―――
《 大阪は狭い土地だ。私は、富岡さんが通われた大阪女子大学の跡地の近くで暮らしていた時期があり、夏草の向こうで幻のごとく佇んでいた旧校舎を憶えている。そこは富岡さんが詩作を始めた町でもある。師事した詩人の小野十三郎さんの家があったからで、さらに申せば、微かな縁ではあるけれども、私が小説を初めて書くことになった大阪文学学校、その創立者の一人が小野十三郎さんであった。ゆえに、文学学校の古い人々は女子大生であった頃の富岡さんをまるでそばで見ていたように語る。大阪は記憶が濃密に続く土地でもある。》
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創立時の1954年から91年まで大阪文学学校の校長を務められた小野十三郎さんが、老衰のため自宅で93年の生涯を閉じられたのは1996年10月。その1カ月後、大阪文学学校は、大阪市中央区のコスモ証券ホールにおいて「詩人・小野十三郎さんとお別れする会」を催しました。10数名のご遺族をふくめ各界から350名の臨席。その「お別れする会」の呼びかけ人10名には、文校の大先輩・田辺聖子さんや富岡多惠子さんにも名前を連ねていただいています。
富岡さんは静岡県から「お別れする会」の会場にお越しになっていたにもかかわらず、小野さんの遺影や祭壇のあるホール内には入らず控室で、ホール内の模様が映し出されているモニターを終始見つめられていました。
また、小野さん逝去の3年後(1999年)に文校が中心になってつくった「小野十三郎賞」の創設発起人(20名)を、荒川洋治、金時鐘、倉橋健一、杉山平一、谷川俊太郎、辻井喬さんらとともに、富岡多惠子さんにも引き受けていただいています。
(小原)