東洋経済オンラインで、2019年6月11日に逝去された文校の大先輩・田辺聖子のことが話題に!
没後4年、芥川賞作家「田辺聖子」今も心打つ生き方―――大阪を愛し、大阪弁を愛した「おせいさん」
≪東洋経済オンラインのこの記事は、『道をひらく言葉: 昭和・平成を生き抜いた22人』(NHK出版新書 695)から一部抜粋・再構成されたものです。以下に、文校に関連する部分を取り上げました。≫
【【26歳で大阪文学学校に入学、小説を書き続けた】】
大阪人の気質と大阪弁の素晴らしさを知った田辺は、大阪弁で小説を書きたいと強く思うようになる。7年間勤めた金物問屋を辞めて、26歳で大阪文学学校に入学。仲間たちと同人誌をつくり、10年もの間、ひたすら小説を書き続けた。20代で結婚、出産するのが当たり前だった当時の女性としては非常に珍しいことだった。
「今もそうだと思うけど、26から36って、当時の女性にとっても大切な時期だった。私は結婚する予定も全然なかったし、家族から『将来どないすんねん』と言われていたけれど、『自分で自分に聞きたいわ』っていうぐらいだった。
案外のんきでポカッとしてたのは、物書き仲間の志を同じにする人たちと集まって、作品をああだこうだと批評し合う、これが本当に楽しくて、こういう楽しみがあってほんのちょっとのお金を稼げたら、もう人生何もいらないっていうぐらい面白かった」