12/11神戸新聞・・「さきがけ文学賞」受賞の方政雄さん<文校昼間部・津木林クラス>
11月18日文校ブログ参照。
きょう午前、羽曳野市で執り行われた山田兼士さん(大阪文学学校講師)の葬儀に参列しました。
今日(月曜)午前10時から、大阪府羽曳野市の葬儀場で行なわれた山田兼士さんの葬儀に参列しました。享年70。
山田さんは大阪芸術大学文芸学科で教授を務める一方で、1996年4月から大阪文学学校講師、2002年2月から大阪文学協会理事として、文校にも深くかかわってこられました。96年4月から通教部、06年10月から夜間部、さらには11年4月から年6回の公開講座「夜・詩の連続講座」、15年春からは「昼・詩の連続講座」と途切れることなく、講師(チューター)の任にありました。病魔とたたかっていた晩年の3年間は、講座にのぞむことがかなわない時期もありましたが。
式場入口のテーブル上には、山田さんの著書や訃報を伝えるネット記事がプリントアウトされたものが並べられていました。それらの中には12/10付「文校ブログ」も【写真】。
浄土宗の読経が流れる式場内には、親族や大阪芸大関係者など約40名。文校からは葉山代表理事、日野チューター、通教部生1名、修了生2名の姿がありました(細見校長は、昨夜のお通夜に駆けつけています)。
昨日お届けした文校からの一対の供花も手向けられていました。
読経、焼香につづいて、会場後方からの女性のクラリネット演奏のなか、30通ほどの弔電が紹介されましたが、文校からの弔電は大阪芸大教授会の次に読み上げられました。
山田さんの長男・聖士(きよし)さん、連れ合いの泉さんによる挨拶から、山田さんがいかに家族から頼られていたかがうかがわれました。
火葬場に向かう霊柩車を見送って、葬儀場を後にしました。葉山さんらとは近鉄藤井寺駅で別れ、12時半ごろ文校にやってきました。
(小原)
今夜の公開講座<夜・文章講座>に17名(うち、OG1名)。作品提出者は、13名中12名出席。
今夜、文校教室を広く使って秋期2回目の“夜・文章講座”(担当;津木林チューター)がおこなわれました。6時半から9時前まで。
出席17名のうちには、岐阜県恵那市の昼間部・研究科生(伊藤C)、きょう昼の「文校ブログ」で紹介した入学ほやほやの21歳大学生(西井C)、大学を休学してまで小説にかけている神戸市の学生(西井C)、大阪に宿をとって2クラス掛け持ちしている高齢男性(佐伯&夏当C)も。
次回・3回目は、明年2月6日(月)。
作品提出締切は、1月28日(土)午後4時。
大阪文学学校HP<公開講座>参照。
(小原)
通教部22年秋期第1回スクーリング。文校教室と貸し会場での対面合評に通教部生63名(うちプレ・スクのみ1名)、通教部チューター11名。Zoom参加は通教部生11名(うちプレ・スクのみ4名)、チューター1名。入学のための一般見学1名。
◆午後0時30分からの、文校教室における細見和之・文校校長による全体講義に約40名。ほかにZoom視聴4名。
◆13時20分から、9会場に分かれてクラスごとに『樹林』1月号(通教部作品集)の合評会。【写真】は、飯田・高橋<合同>クラスの合評会風景。二人のチューターに加え、神奈川、愛知、岐阜、広島、福岡などから通教部生15名参加。
◆17時少し前から文校教室で、通教部チューター9名のほか通教部生30数名が参加して交流会。
大阪市の秋期入学生(24歳)、北海道、埼玉、千葉、長野、愛知、鳥取、島根、福岡などからの参加者に、マイクをにぎって挨拶していただきました。
流れ解散にしていますが、19時10分現在、まだ8名が教室に残ってワイワイやっています。
(小原)
秋期55人目の新入生。茨木市の21歳大学生。
12月9日(金)夜の本科小説・西井クラスを見学されていた京都市内の大学に通う21歳男性が、年明けの1月13日(金)から組会(クラスゼミ)に加わることになりました。早く文校の合評会に本格的に参加したい、4月まで待てない、ということで、すでに23年度春期生の募集が始まっているこの時期での秋期入学となりました。
21歳ですので、年間学費が2万9千円割り引かれる“若者向け奨学制度”が適用される上に、中途入学ですから学費はさらに割り引かれます。
21歳大学生からオンラインでとどいた「入学申込書」には、次のようなことが記されていました。
●文校は、「ネットの、小説について学べる学校の特集サイトで見つけた」とのこと。
●書きたいテーマは、「青年時代・儚さをテーマにした作品」。
●影響を受けた作家・作品は 、「米澤穂信『ボトルネック』、榎宮祐、知念実希人、百田尚樹」。
(小原)