今夕(7/22)の毎日新聞にも、木下昌輝さん(大阪文学学校修了生)が登場! 新刊長編『愚道一休』(集英社)について大いに語る!
7/17朝日新聞・夕刊に引き続き、今夕(7/22)の毎日新聞でも、木下昌輝さん(文校修了生で3度直木賞候補)へのインタビューが大きく載っています。
7月18日・文校ブログ(7/17朝日新聞・夕刊)参照。
7月5日・文校ブログ(『小説すばる』7月号)参照。
6月14日・文校ブログ(『愚道一休』発売開始!)参照。
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■11/16(土)大阪市北区のサンケイホールブリーゼで、大阪では実に66年ぶりの【文士劇】旗揚げ公演がおこなわれます。木下昌輝さん、朝井まかてさんも舞台に立ちます。チケット販売は9月1日(日)。
5月31日・文校ブログ参照。
(小原)
【14(日)~15(月・海の日)】《2024・文校夏季合宿 姫路・福崎・豊岡――歴史・文化に触れる旅》に25名参加。
1984年発行の「大阪文学学校・30年略年表」によると、今の形のひと晩泊まりの夏季合宿がはじまったのは、80年(昭和55年)7月のことで、場所は大阪・奈良府県境の信貴山でした。それ以来、数えて45回目(2020年と21年はコロナのために代替企画として自宅Zoomによる作品合評会)の今回は、姫路・福崎・豊岡方面に出かけました。
総勢25名。学生(委員を含む)、修了生、チューターは津木林さん(昼)、助っ人としてイベント部の堀越さんのお嬢さん、事務局からは小原事務局長と事務局員の角田が参加しました。小原さんは、先日の通勤時のバイク事故での怪我があり、姫路城の見学のみの参加です【道路を管理している土木事務所に事故の原因をかけあいつつ、文校には毎日来ています】。なので、宿へ向かったのは24名。
〈初日/14日〉
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■JR姫路駅中央改札口に11時に集合【写真①】。あいにくの雨模様でしたが、本降りではなく傘を差すかどうかといった降り方なのが幸いでした。まずは姫路城【写真②】へ向かいます。駅北口から出るとすぐに威風堂々たる姫路城の姿が目に入るので、誰でも迷わずに行けます。歩くこと20分ほどで大手門に到着し、一旦解散してそれぞれが昼食を取りました。姫路名物といえば、おでん、あなご、アーモンドトースト等いろいろあるようなのですが、皆さんどうされたのかな【写真③】。午後からは姫路城見学の本番です。案内役は、堀越さんのご親族の堀田浩之氏(元・兵庫県立歴史博物館学芸員/城郭研究者)が務めてくださいました。遠くから眺めると、白鷺城という別名があるように優美な姿をしている姫路城ですが、中に入ってみると要塞としての色が濃く、さまざまな工夫がされていました【写真④】。それぞれの見どころをわかりやすく丁寧に説明してもらえるので、飽きることがありません【写真⑤】。大天守にも当然上がりました。外観からは5階建てに見えますが、内部の構造は、地下1階、地上6階の7階構成です。木造建築なので、靴は脱いで上がります。階段の幅の狭さや踏板の小ささから、当時の人の体格を感じました。そして「武士は足腰が強くないと務まらないな」と思いました。天気のせいで通常よりは少ない来場者だったようですが、それでも大勢の人が上がるので、天守の中はたいへんな温度と湿度で、みな茹で蛸状態に【写真⑥】。有名な「お菊の井戸」も覗きましたが、日曜のことで、お菊さんはお休みです【写真⑦】。
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■その後は姫路文学館へ。安藤忠雄設計の建物に、播磨地方ゆかりの文学者の資料が集められています。また特別展は黒井健絵本原画展が開催されていました【写真⑧】。
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■姫路駅から単線でワンマン・カーの播但線に乗って宿泊先「文珠荘」のある福崎へ【写真⑨】。
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■文珠荘に到着後はすぐにお風呂です。近隣の方も入浴に来られるような人気のお風呂で、混み合いましたが広くて気持ちよかったです。
■19時から1階会議室にて夕食です。席はくじ引きで決めました。折詰弁当ですが、メニューは完全に酒肴です【写真⑩】。
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■その後、夕食の場所を宿の方に片付けていただいて、「懇親会」です。つまみには、堀越さん手製の「いぶりがっこタルタル」もあってたいへん美味でした。お酒はウィスキー、焼酎(芋と麦)、レモンサワーの素もあって、ロック・水割り・お湯割り・ソーダ割り、と自分で作りました。歓談するうちにだんだん楽しくなってきて、そこからカラオケ大会になり盛り上がりました。最後まで残った数名が片付けをして引き上げたのは午前3時を過ぎていたそうです。
〈2日目/15日〉
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■貸し切りバスにて「文珠荘」を出発し【写真⑪⑫】、同じ福崎町にある柳田國男記念館へ。建物の外には、沼から浮き上がってくる河童【写真⑬⑭】や、飛び出す天狗もいて子供たちに人気でした。柳田國男の生家は田の字型間取りで「日本一小さい家」と自ら言われていたように、コンパクトな農家といった風情です。自分が住んでいた家とは違うのに、なぜか懐かしい。
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■柳田國男記念館から出石(豊岡市出石町)へ。到着後はそれぞれが昼食と散策。昼食はほとんどが名物の出石皿そばを。中には20皿、30皿を完食した猛者も【写真⑮】。
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■出石を出発して同じ豊岡市内にある植村直己冒険館(建築家・栗生明設計)へ【写真⑯】。深いクレバスを表現した、高いコンクリートの壁に挟まれた入口から植村直己の世界に入っていく。写真はもちろん、生前使われていた装備品が多く展示されていました。
⑯
植村直己冒険館を出発するころから急に雨足が強くなり、怖いほどの豪雨の中をバスで安全に運んでいただいて、午後5時ごろ無事に姫路駅に到着し、それぞれが帰途につきました。
最後になりましたが、学生委員会のみなさま、ほんとうにお疲れ様でした。
また姫路城見学でお世話になりました堀田浩之様、いろいろとお手伝いくださいました向千尋様に深く感謝いたします。
(角田)
☆新刊紹介★なかもりあつこ<文校夜間部/松本クラス>第一詩集『星を結んで』(私家版)
大阪文学学校19年生の藤田友房さん(79歳)が、待望の短編小説集<濃州ものがたり>を刊行!
藤田友房さん(本名;大野久嘉)は、岐阜県生まれで横浜市在住。大阪文学学校とは20年前、当時の大阪文学協会代表理事・高畠寛さんが日本経済新聞に書いた文校創立50周年についての文章で出会っています。その1年後に通教部に入学し、それ以来ずっと文校に在籍しています。現在は、飯田未和クラス。年4回ある通教部スクーリングにもよく出席されています。今年3月のスクーリングにおける“交流会”では、乾杯の音頭を取ってもらいました。【下の写真】で右端のオレンジ色のセーター姿が藤田さん。
上下2段組344頁からなる短編小説集<濃州ものがたり>は、18編の家族史や私小説的なもので構成されています。
次に、短編小説集の「はじめに」の結末部分を引用します。
【文校で小説を書き始めて十九年。書いた作品は七十作程になる。今回私家版を作るに当たって自分なりに候補作を選んでみたが、どれも帯に短し襷に長しで迷った。しかし最終的にはやはり文校のチューターが評価してくれた『樹林』掲載作品が大半を占めることになった。
作品は何度書いても相変わらず納得出来るものは無い。しかし書くことだけは止められない。論語に曰く、「之(これ)を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」で、今やぼくは小説を書くことを楽しみにしている。】
(小原)