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来週の昼・夜間部は、合同クラスで『樹林』在特(6月)号・合評会週間

6月11日(火)から15日(土)にかけて昼・夜間部では、合同クラスで『樹林』6月(在校生作品特集)号に載っている学生作品の合評会が行われます。
上の一覧表のように、ほとんどが合同で行いますが、単独クラスで行うところもあります。また、Zoomを使うところもあります。
●作品が取り上げられる作者は、できるだけ教室で参加してください。
●来週の『樹林』合評会週間に先立って、6月9日(日)には学生委員会主催で“『樹林』6月(在特)号の合評会”が行われます。

(小原)

企画展【田辺聖子と文学賞―受賞と選考と―】・・・大阪府立中央図書館と大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館の共催事業

●6月29日(土)午後、“大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館見学ツアー”があります。申込は、大阪府立中央図書館のHPから。

●《以下は、『樹林』2007年11月号に載せてある小原の寄稿文を再構成しました――》
文校出身の大先輩・田辺聖子さん(1928年~2019年)は、樟蔭女子専門学校[現在の大阪樟蔭女子大学]卒業後、金物問屋事務員などを経て、1956年27歳のとき、大阪文学学校に通うようになります。
それから8年余りして、ついに田辺さんは、同人誌『航路』に発表した「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第50回(1963年度下半期)芥川賞を射止めました。『新潮』や『文學界』など東京の商業文芸誌に載った他の8編の候補作を押しのけて、同人雑誌から受賞したことに意味がありました。しかもその当時にあっては、関西在住者から初めての芥川賞作家の誕生でした。
受賞作「感傷旅行」は、試行錯誤のなかで昂揚感に包まれた草創期の放送局を借景にし、女性の放送作家が共産党員と恋愛しそこで巻き起こる悲喜劇を、同じ放送作家の男の目から描いたものです。
田辺さんの『楽天少女 通ります~私の履歴書』(日本経済新聞社/1998年)のなかに、<純文学の芥川賞を受けられたのに、大衆文学をもっぱら書かれる理由はなんですか>というインタビューを受けて、次のように思ったとあります。<昔から双方そんなに意識していない。落つれば同じ滝川の水、読む人の心をうち、発想を転換させたり慰めたり、勇気づけたり、面白がらせたりすれば、種類は変っても文学価値は同じ>と。

●田辺さんの芥川賞受賞作「感傷旅行」を産みだした同人誌『航路』は、文校には44号中30冊が残っていますが、残念ながら受賞作が載っていた号(第7号)は欠号。それでも、30冊中4冊に田辺さんの作品が載っています。2023年3月23日・文校ブログ参照。

●上に載せてあるチラシは昨晩、今春の通教部新入生・海本さん(岡山県倉敷市)の娘さんが持って来てくれたものです。大阪に住んでいる娘さんは今春から、大阪府立中央図書館に勤務するようになったのだそうです。

(小原)

本日公開!「詩時評(第35回)」(松本衆司執筆) ◆「詩同人誌評(第10回)」(中塚鞠子執筆)、「小説同人誌評(第40回)」(細見和之執筆)も公開中!

本日、「詩時評(第35回)」(松本衆司執筆)を公開しました。

『樹林』本誌上で2019年5月号(通巻652号)まで連載されていた「小説同人誌評」(細見和之執筆)と「詩時評〈詩集評〉」(松本衆司執筆)はその後、当HPのトップページ上に公開の場を移しました。
21年3月からは、あらたに「詩同人誌評」(中塚鞠子執筆)もくわわりました。
それぞれ原則、年4回執筆で、「小説同人誌評」は通算で40回目、「詩時評」は35回目、「詩同人誌評」は10回目になります。

公開済みの小説同人誌評、詩時評、詩同人誌評の一覧はこちら

新入生「ハガキ1枚」課題、42名から届いています。締切を1週間延ばします。未提出の方、急いでください【できればメールで】。◆作品発表・第4弾【昼間部・奈古英子さん/通教部・熊沢 優人さん】

今春の新入生60名のみなさんに、提出をもとめていた〈課題ハガキ〉は今日・31日が締切でした。今日の到着分も入れて現在、昼間部20名中19名、夜間部17名中6名、通教部23名中17名の計42名から提出があります。
できるだけ、新入生全員に書いていただきたいですので、あと1週間延ばして最終締切を6月7日(金)とします。まだの方、できればメールでお願いします。
提出作品は全て、「文校ニュース」に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。
課題のタイトル6つについては、4月27日・文校ブログ参照。

既着分の中から、とりわけ印象的な作品を紹介する《第4弾》として、奈古英子さん(昼間部/65歳)、熊沢優人さん(通教部/41歳)2名の作品を取り上げます。
すでに文校ブログに載せた《第1弾》は通・立花十子さん、通・鈴木悟さん、昼・廣瀬浩さんの作品(5/7文校ブログ)、《第2弾》は通・海本友子さん、夜・TAさんの作品(5/18文校ブログ)、《第3弾》は通・鴨居みこさん、通・田中風子、昼・司元さんの作品(5/23文校ブログ)でした。   (小原)

        ☆       ☆ 
 私のふるさと  奈古英子(昼・小説・佐伯クラス/奈良市) 

 七年前、一人暮らしが難しくなった母を引き取った。
 ふたりでよく田舎の話をした。母のふるさとであり、私が十八歳まで暮らした町。汽車に乗ることもできなかった親戚のおばさんが、若い頃は駆け落ちして連れ戻された話。戦争中開墾に行かされたが、町育ちの母は何もできず、ただ豆入りのお握りを一つもらって帰って来たこと。お祭り好きな母は、御神輿について一晩中町を歩き回っていたそうだ。
「お前も知っているだろう。ほらあの『高い山』」
『高い山』はお祭りに歌われる祝い歌で、私は自分の結婚式の時、父や親戚のおじさん達に歌ってもらった。眠りに入る少しの時間、母は微かな声で『高い山』を歌った。
 母はいつかまた田舎に帰る積りだった。
「そりゃあ、自分の家があるのだもの。帰りたいに決まっているさ」
 認知症の母が、一人で田舎に帰って住むことはもうないと私は知っていた。
 去年十月母が亡くなった。田舎の話をする人はいなくなり、家だけが残った。
 でも、母のことを思い出す時、そこには子供の私がいる。母が開墾した場所で、小学生の私はキャンプをした。駆け落ちしたおばさんはおはぎ作りが上手で、毎年おいしいおはぎを作ってくれた。若い両親や祖母や兄弟が笑っている。
 お祭りには、田舎に残った私の同級生が、今も『高い山』を歌う。
 
        ☆       ☆

 文学学校入学にあたって  熊沢優人(通・小説・塚田クラス/熊本市)

 大阪文学学校へ入学できた。入学できたからには、学校へ通いたくて仕方がない。学生がするようなことを、なんでもしてみたいのである。およそ十二年前、二十九歳ごろから、本気に作家を志願し始めた。以来、文芸や音楽のことばかり考える生活をするようになった。その暮らしの中には、師事する人が欠けていた。私は、太宰さん(太宰治)が好きである。小説の師は、小説の中に求めれば良いという人もあろうが、私は、井伏氏に師事する太宰さんに憧れていた。ある小説家を、自分の作品をもってたずねていった。会うことは、かなわなかった。けれども、と、話は続いていくのだが、割愛しなくてはいけない。私は、こういう学生です。
 熊本県で学んでいる。教室へ通い、きっといるのに違いない、良い人たちと語らい、大阪の食を味わいたくてならない。私の貧しい、という事のみが原因で、ことし恐らく一度も教室まで通えないはずである。大阪文校へ通っていくためには、大阪へ移住することが必要だと、真面目に考えている。ミニ文校が、熊本へ来て欲しい。熊本には、文学学校などないのです。

【文士劇】大阪では実に66年ぶりの旗揚げ公演。大阪文学学校出身の朝井まかてさん、木下昌輝さんも舞台に立つ!

●公式HPとQRコードで公演情報は公開されています。
https://nanigeni-bunshigeki.com/