【昨日(9/15)】2024年度春期の修了集会。修了生7名、在校生1名出席。
3月(秋期)と9月(春期)、年に2度おこなう修了集会。
コロナ禍で長い間開催を見送ってきましたが、昨年9月17日(日)、19年9月以来4年8期ぶりに再開しました。
その日午後3時から、7月10日に急逝された佐々木鈴・文校事務局員を“偲ぶ会”を予定していて、その前段に修了集会を開いたのでした。出席は7名のみ。ちなみに、コロナ前の19年9月の修了集会は修了生73名中11名出席、18年9月16日のときは修了生61名中20名出席でした。
例年3月中旬に開く秋期・修了集会は、20年以降5年間開催していません。コロナをもうあまり心配する必要のなくなった今年の3月は、3月16日(土)に催した“大阪文学学校創立70周年祭”の準備でてんてこ舞いだったために見送っています。
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この9月で、本科(1年)、専科(2年)、研究科(4年)を修了される方は、昼間部・夜間部・通信教育部あわせて52名でしたが、15日(日)午後2時からの修了集会への出席は7名のみ、ほかに林隆司・学生委員長。
式は、小原(事務局長)のあいさつ、細見校長(欠席のため、角田事務局員が代読)からの修了証書授与、出席修了生からの“一言メッセージ”とつづきました。
恒例の“修了生・一言メッセージ”コーナーでは、マイクを手に修了生一人ひとりにスピーチをしてもらいました。含蓄のある言葉のオンパレード。
◎84歳で「野垂れ死にする会」の会長を務める男性は、意気軒昂でした。「今日で文学とはすっぱりと縁を切る。第4の人生に挑んでいく(第1は会社経営、第2は愛妻との別れ、第3は文校に通いながら本を2冊出版)」と。第4の中身は明かされずじまいでした。小原の見立てでは、寂しくなって1年後には文校に戻ってくるものと思われます。
◎毎週土曜日の昼、愛知県から新幹線で通ってくる会社員の女性。クラスの合評会で打ちのめされるたびに、家で“ソリティア”をやって気分を鎮めているとのこと。10月から専科クラスに進級。
◎昼間部に4年間在籍した男性。「在特号に何度か挑戦したが、載ることはなかった。でも、4年で小説を16作書けたことはうれしい。1年間充電(休学)して戻って来ます」と。
◎昼間部に2年間在籍した26歳女性。“峰さそり”のペンネームで、在特号に小説が載ったとき、クラスメートの高齢男性から「ストリッパー」みたいな名前やなぁ、と言われたという。文校は辞めるが、作品を発表する場があるので、そちらで頑張りたいとのこと。
◎学生委員会でも活躍する女性。前日(14日)の昼・文章講座後の交流会で飲みすぎ・喋りすぎたためか、せっかくの美声がつぶれていた。「入学して思ったことは、この学校は遊びでやってるところではない、ということだった。一生書きつづけて、(有名になって)文校を宣伝したい」と。10月から専科クラスに進級。
◎神戸新聞の文芸欄に挑戦をつづけ、小説が全文掲載され、賞金2万円をゲットしたことのある50代半ばの男性。今度の在特号には詩が載る僥倖。ペンネームは、自宅近くの喫茶店とその隣りの弁当屋の名前を拝借して“緑北洋<みどり・ほくよう>”。昼・本科・佐伯クラス(火)をへて、10月からは昼・専科・津木林クラス(土)へ進級。
◎昼・佐伯クラスの男性。「2年前に父が亡くなって、気分転換のつもりで文校に来た。佐伯チューターは酒が強く、よく日本酒をぶら下げてくる。作品合評(1作のみのとき)を終え、3時30分から文校の教室で飲み会、5時半から“おくまん”で続きをやることもあった」「佐伯チューターの最新刊の小説『大空洞(うろ)ー逆説神話』<編集工房ノア>の編集のお手伝いをさせていただいて、光栄なことだった。100年後にも残る傑作だと思っている」と。夜・専/研究科・谷口クラスへ進級予定。
全員で記念写真を撮影したあと、事務局3人も加わってみんなで一つのテーブルを囲み、飲食入りの“交流会”に移りました。元会社社長の「タダとちゃうんかい」という突っ込みは無視して、会費は1000円いただきました。昨日の昼・文章講座後の交流会と連チャンになった人が、林委員長を含めて5名。交流会は1時間半ほどで終了。
●今期52名の修了生のうち、出席した方以外には後日、修了証書を郵送しますし、昼・夜間部で進級する方へは秋期最初の組会でお渡しします。
(小原)