文校ブログ

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新入生「ハガキ1枚」課題、52名中42名から届いています。締切を1週間延ばします。未提出の方、急いでください◆作品発表・第5弾【通教・石沢千鶴子/昼・田中ひかり/昼・田村晶生】

今秋の新入生52名のみなさんに、提出をもとめていた〈課題ハガキ〉は昨日・25日(月)が締切でした。現在、昼間部24名中20名、夜間部12名中8名、通教部16名中14名の計42名から提出があります。
できるだけ、新入生全員に書いていただきたいですから、あと1週間延ばして最終締切を12月2日(月)とします。まだの方、【できればメールで】
お願いします。
提出作品は全て、12月末に発行する「文校ニュース」秋期第3号に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。≪12/8通教部スクーリングのとき先行して、通教生の分だけプリント配布します。≫
課題のタイトル6つについては、11月11日・文校ブログ参照。

既着分の中から、とりわけ印象的な作品を紹介する《第5弾》として、石沢千鶴子さん(通教部/73歳)、田中ひかりさん(昼間部/46歳)、田村晶生さん(昼間部)3名の作品を取り上げます。
すでに文校ブログに載せた《第1弾》は通・北郷遥斗さんの作品(11/11文校ブログ)、《第2弾》は昼・久野庭子さんの作品(11/12文校ブログ)、《第3弾》は夜・ぱるぷんてさん、昼・生一昌之さんの作品(11/15文校ブログ)、《第4弾》は昼・川又敏朗さん、昼・奈良鹿乃子さんの作品(11/20文校ブログ)でした。   (小原)

        ☆       ☆ 

 文学学校入学にあたって
   石沢千鶴子(通・小説・美月クラス/横浜市) 

 時間だけはたっぷりあるが頭はますます回らなくなってきている中、所属していた同人誌が廃刊になった。
 しばらくの間、テレビばかり見ていた。楽しかった。だが、これでいいのだろうか。自分の好きなことは何だろう。改めて考えてみる。本は読んでいるが、活字ばかり追っていても目と頭が痛くなってくる。
 その頃、とっていた三田文学の同人雑誌評で「樹林」を見つけた。ネットで入学要項を見る。決して安価な額ではない。自分の年齢的なこともある。しばらく迷う。が、頭から離れない。入らせていただくことにした。
 入学して初めて在校生や卒業生の皆様のご活躍を知り、圧倒される。様々ある教室、課題、宿題、等々、今まで好き勝手に呑気に暮らしてきた私は、新たな所に入りアップアップしている。でも、できるだけ頑張って皆さんについていこうと思っている。どうぞ、よろしくお願いいたします。

        ☆       ☆

 文学学校入学にあたって
   田中ひかり(昼・小説・大西クラス/兵庫県)

 昔から本が大好きだった。小説も絵本も漫画も雑誌も。そのお陰か頭の中でいろいろ想像することも好きだった。でも自分で書こうなんて考えたことはなかった。それが今こうやって文学学校に通っている。しかも兵庫県のド田舎から車とバスと電車を乗り継いで。
 だから、入学にあたって「小説を書いてみよう」などと大それたことを何故思ったかじっくり考えてみた。
 もともと看護師をしていた。育児と家事と仕事で毎日精一杯だった。それが一変する。息子の不登校だ。様々な葛藤と戦いがあった。でも最終的には「学校は自分が行く場所ではない」と判断した彼は、自分で決めたフリースクールに通う選択をした。齢7歳にしてこんな決断を自力で下すとは本当に凄い。親の顔が見てみたい。ただ行き帰り合わせて約2時間の送迎が必要となり、仕事復帰は諦めた。あんなに忙しかった毎日、悩み続けた日々が過ぎ、拍子抜けするくらい頭がヒマになった。時間があるので今まで読めなかった分、たくさんの本を読んだ。でも日々の新鮮味も薄らぎ、ヒマだけが続くとおかしな事を考え出し、少し心を病んだ。そんな時に朝井まかてさんの記事で大阪文学学校のことを知った。記事の中にあった朝井さんの言葉、「いつまで他人様の書いたものを読み続けるのか」、この言葉に心を爆撃された。
 でも何故この言葉がそこまで影響を与えたのか、今でも分からない。だから何故小説を書こうとしたのかも分らないまま。書くことでその答えの片鱗を少しずつ見つけられたら良いなぁと思う。

        ☆       ☆

 私だけのもの
   田村晶生(昼・小説・平野クラス/京都市) 

 机の上の、指輪やネックレスを入れておく小箱のなかに、親不知がふたつ入っている。ひとつは学生時代に、虫歯になりかけているうえに、斜めに生えて歯列を押しているから抜いたほうがよいと歯医者に言われ、抜いたものだった。もうひとつは今年、歯列矯正をする際に抜いたもので、歯肉のなかにすべて埋まっていた。ふたつとも上顎の親不知である。どちらが右で、どちらが左の歯か、今となっては忘れてしまった。
 歯列の反対側にいたふたつの歯は、歯冠の形も、歯根の形も、鏡に映ったように、左右反転した形をしている。インターネットで親不知の形を調べると、そこに出てくるのは私のものとは似ても似つかない歯ばかりだから、ふたつの歯は、私から生まれたから似通った形をしているのだ。そう思うと、ふたつの歯が、それぞれに私そのものであるような気がする。
 文章を書こうとパソコンに向かう間、考え込むと私は親不知を手の中で転がす。擦り合わせてみると、碁石に似た音がする。自分だけの形が言葉と言葉の繋がりの上に生まれるようにと、お守りのように握る。