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第1回 夜・文章講座のご案内。

夜・文章講座
プルーストと小説の諸方法 Ⅲ ――さまざまの時の態様
講師 葉山郁生(作家)

第1回 11月27日(月)午後6時30分~

◎内容
・テキスト第五章解説
・課題=「ある昼と夜の場面」(人称・題材自由で、小説の一節またはエッセイ。ここも「代表的一日」のモチーフ)

◎次の文章はプルースト長編の代表的な「昼」の文章です。後に前の期にとりあげた代表的な「朝(の音)」の文章です。同じ部屋、または情景(同じでなくともよい)の昼と夜の場面で文章を書いてください。

 …事物はそれ自身の存在を生きているとの信念によって、われわれが見るある種の事物に、魂を吹きこむことができるのであって、そのときから事物はその魂をもつようになり、それをわれわれの内部に育ててゆくようになるからである。(…)昼食のあと、コーヒーを飲むために、私たちがサロンの大きな張出窓の日ざしに席を移して、そこでスワン夫人がコーヒーにいくつ角砂糖をお入れになりますか、と私にたずねるとき、かつて私が二度――最初はばら色さんざしの花の下で、つぎには月桂樹のしげみのそばで――ジルベルトの名のなかに認めたあのなやましい魅力と、彼女の両親がそれまで私に示していた敵意とを、そのまま発散させるのは、単にスワン夫人が私のほうによせてくれる絹張のスツールだけではなかったが、とにかくこの小さな家具さえも、かつてスワンたちが示した私への敵意を知りぬいていて、いまでもそれに加担しているように思われたので、私には自分がそんな席にすわる人間ではないように感じられ、私を突っぱねる力をもたないそのクッションに足をのせるのは、すこし卑怯であるようにも考えられた。人格をもった何か目に見えない魂が、このクッションを、他のどんな日ざしとも異なる午後二時の日ざしにひそかにむすびつけていた。光は湾を形づくってさしこみ、私たちの足もとに金の波をたわむれさせ、青味がかった長椅子やおぼろに見えるタペストリーが、魔法の島のように浮かびでていた。マントルピースの上にかけられたルーベンスの絵までが、スワン氏の編上靴やあのフードつきコートとおなじ種類の、ほとんどおなじほど強い、魅力をもっていた。

 私は朝早く目をさました、そして、まだ半睡の私にわきおこった歓喜で、私は冬のなかに挿入された春の一日があることを知った。そとでは、瀬戸物接ぎのホルンや椅子なおしのトランペットをはじめとして、晴れた日にはシチリアの牧人とも見える山羊飼(やぎかい)のフルートにいたるまで、さまざまな楽器のためにうまく作曲された民謡の諸テーマが、朝の空気を軽やかにオーケストラ化して、一種の「祝祭日のための序曲」を奏でていた。聴覚、この快い感覚は、街の仲間をわれわれのこもっているところに連れてくる、すなわち、その街のすべての道筋をわれわれに跡づけ、そこを通りすぎるすべての物の形を描き、その色をわれわれに見せてくれるのである。パン屋や乳製品屋の鉄の「カーテン」は、ゆうべは女の幸福を手に入れるあらゆる可能性をしめだしてぴったりとおろされていたのに、いまは、透明な海をわたって走ってゆこうと出帆の準備をしている船の軽い滑車のように、若い女店員たちの夢の舞台にするするとあがってゆくのだった。こことはべつの区域に住んでいたら、人があげる鉄のカーテンのこの音がおそらく私の唯一のたのしみになったことだろう。ここの区域ではほかにもたくさんの音があって私をよろこばせるので、私は朝寝ぼうをして一つでもききのがすのはおしいという気がした。