錺雅代(かざり・まさよ)さんが逝去されてからひと月が経ちます。ご冥福をお祈りします。
昨年9月まで大阪文学学校昼間部のチューターを務められていた錺雅代さんが逝去されてから、1カ月がたちました。錺さんの訃報は、今年2月2日昼過ぎ、お連れ合い(旦那さん)から文校事務局への電話でもたらされました。
「今朝方、入院先の個室で亡くなりました。薬でも治らない、呼吸器の持病のためでした。コロナワクチンの副作用で微熱にも苦しんでいました」とお聞きしました。
「コロナ下ゆえ家族葬にしましたので、弔問はお控えいただければ・・・。文学学校の関係者の皆さんによろしくお伝えください」とのことでしたので、〈大阪文学学校〉名で、霊前への供花と弔電をお届けしました。
以下、弔電の全文です。
【錺雅代さん、貴姉は、さまざまなボランティア活動にたずさわる一方で、大阪文学学校にも深くかかわってこられました。
2006年まで生徒として7年間在籍され、請われて18年4月から3年半、講師(チューター)も務めていただきました。文学学校のなかには、貴姉とのかかわりを大事にされている方がたくさんいます。
安らかなご永眠をお祈りいたします。ご著書もある故郷・秋田のことのついでに、文校のことも思い出してください。〈大阪文学学校〉】
文校の図書室には、錺さんの著書が3冊あります。
いちばん近い、2018年4月刊行の『花好きの花がたり みどりは友だち』(ハンドレッドラボ刊)の奥付にある著者紹介欄を、以下に紹介します。おそらく、錺さん自身の筆になるものでしょう。
【錺 雅代(かざり・まさよ)
1946年秋田県協和町(現・大仙市)生まれ。茅葺屋根の農家で野山を遊び場に育つ。
1968年に秋田大学教育学部を卒業後、大阪市に転居。1983年、大阪ボランティア協会「お話の語り手養成講座」受講をきっかけに「なにわ語り部の会」会員としてお話や絵本に関するボランティアを始める。大阪ボランティア協会では、2001年から「市民ライター講座」スタッフ、2002年から2008年まで常任運営委員。現在、「なにわ語り部の会」の活動のほか、「お話の語り手講座」講師を務める。
2006年大阪文学学校研究科修了。2002年小説「くちどめ」で第22回大阪文学学校賞受賞。著書『カタンコ・ションピコ・ガザの花』『寒さの夏は』(ともに編集工房ノア)、『語りの時間』(共著・大阪ボランティア協会)など。】
文校のチューターをされているとき、クラス生から出ている意見や作品提出状況などについて、事務局へメールや電話を頻繁にいただきました。30名近いチューター団のなかで、その回数がいちばん多かったような気がします。とくに、コロナになってから錺クラスは、主にメーリングリストで作品合評をしていましたので、ほぼ毎週連絡をいただいていました。ほんとうに文学学校が好きだというのが、よく伝わってきました。
錺さんから「秘密にしておいて」ときつく釘を刺されていたので、事務局員や会計士以外、今日まで理事会のメンバーにさえ黙っていたことがあります。それは、大阪文学学校の会計収支で20年春期分の中にある“K氏寄付200万”にかかわることです。錺さんの深い“文校愛”のひとつの形だったと思うので、この場でどうしても書かせていただきました。
文校在籍時のクラスや、木辺弘児チューターを中心に立ち上げた同人誌『森時計』で、錺さんといっしょだった瀬戸みゆうさん(現在、山口県周防大島在住)に、“追悼文”を書いていただいています。錺さんの人間性や作品を踏み込んで紹介したその原稿20枚は、『樹林』5月(春期)号に掲載予定です。
(小原)