松本悦子さん(文校修了生)が、3月15日逝去されました。安らかにお眠りください。
大阪府八尾市在住の松本悦子さんの訃報が、かつて大阪文学学校で机を並べていた吉澤久雄さん、上西五郎さん、そして中塚鞠子チューターからもたらされました。松本さんが入院先で逝去されたのは、3月15日午前8時前のことで、心不全によるものだったそうです。1937年(昭和12年)生まれの84歳でした。
松本さんは、2006年4月から休学期間をはさみながら2016年3月まで10年間、昼間部の詩・エッセイクラスと小説クラスに在籍されていました。その間、属したクラスのチューターは、日高てる、中塚鞠子、佐久間慶子、岡保夫、奥野忠昭の各氏です。
呼吸器系の持病をを抱えていたため、酸素ボンベを積んだタクシーで自宅と文校を往復していました。ビル3階の文校教室で席についている時間はいつも限られていました。「文校は私の拠りどころなの」というのが口癖でした。
松本さんが文校時代に書いたものの中で、真っ先に挙げられるのは、『樹林』2008年12月号(通巻527号/在校生作品特集号)に選ばれて載ったエッセイ「忘れ得ぬ福山空襲」でしょう。
松本さんが数え8歳のとき、アメリカ軍による広島市への原爆投下の2日後、同じ広島県の福山市へ焼夷弾による空襲があった。その中で、母と1歳の弟を失う。焼夷弾によって切断された母の足を新聞紙にくるみ、それを大切に抱え持って、たかってくるハエを追い払いながら、棺のあるところまで長い道のりを歩く幼い松本さんの姿が強烈に印象に残っている。
その「忘れ得ぬ福山空襲」は、日本エッセイスト・クラブ編『09年版ベスト・エッセイ集』(文藝春秋刊/2009年8月発行)に転載されました。
その後12年10月に、その単行本は文春文庫の一冊にもなりました。
2009年9月9日文校ブログ参照。
09年春期、12年秋期、13年秋期と3度に及んで、松本悦子さんから文校へ多額の寄付をいただいていたということも書き添えておきたいと思います。文校会計がピンチな時期には、ほんとうに助かりました。
松本悦子さんの安らかなご永眠をお祈りしつつ、近日中に、<大阪文学学校>名で霊前への供花をお届けします。
(大阪文学学校事務局長・小原政幸)