埼玉県の通教部生が丸10年在籍して、この3月で修了します。10年間を振り返ってもらいました。
≪大阪文学学校通信教育部/詩・エッセイクラスでの十年≫
遠野魔ほろ(通教部研究科・川上クラス)
私にとっての大阪は谷町にある文校です。埼玉の入間市から十年通っていつもとんぼ返り。最終のスクーリングで、土曜のプレがなかったので大坂城に行きました。高校の修学旅行以来。お堀に鴨がたくさん浮かんでいて、枝垂れ梅が満開。これで文校の他にもう一つ、大阪での思い出ができました。文校が大阪にあったからこそ、通い続けられたのだと思います。街の様子、言葉、人々の雰囲気、何もかも異なった場所だったから、日常から離れて書くことが学べたように思います。
入校は2012年4月。前年から色々なことが重なって考えあぐねていた時にふと、何かきちんとした文章が書きたいと思いました。恐る恐るの電話の向こうから「八十代の方も書いておられますよ」という小原さんの言葉が返ってきました。まだどのくらい書き続けられるのか見当がつかず、4年間とりあえずやってみようという気持ちでした。最初のスクーリングで校長の長谷川龍生先生のお話がありました。当時は何も知らず、今振り返れば、もっとしっかりお聴きしておけばよかったと思います。
初めての冨上クラスの合評会では、椅子から半分落ちそうになって座っていました。自分の作品が批評されても、何を言われているのか実はよくわからない。ただ、とても真剣に話が続いていたことだけを覚えています。最初の頃のエッセイとも何ともつかないような文章が、批評を受けて書き続けるうちに詩らしいものに変わっていきました。翌年から川上クラスになりましたが、申し訳ないことに、はじめの数年は川上先生の詩がよくわかりませんでした。難解というのではないけれど、何をどう味わっていいのかわからない、なんだかピンとこない。でも先生の言葉、作品の批評自体が詩のようで、合評会が終わるたびに「もっといい作品が書きたい」と思いながら大阪から戻りました。
書くことの比重が私の中で大きくなるにつれ、思いつきでつけたペンネームがとても大事な、自分自身でいられる場所に変わっていきました。それは先生(チューターと言うより私にとっては先生です)はじめ皆が互いの作品を真剣に読み、ときに作者以上に読み込んで批評し合う中で育っていったのだと思います。
それに年2回の読書ノートの提出。私の感想文より長いくらいの批評をいただいた時はショックでしばらくはちゃんと読めませんでした。コロナ流行以前、スクーリング前の先生からの講義も、文校の多くの先生方のお人柄、文学への姿勢などにじかに触れることができる貴重な時間でした。
文校での十年は言葉を通してたくさんの人と出会い、学ぶことができた時間です。こんなに豊かな時間を携えて修了できることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
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遠野魔ほろ(とおの・まほろ)さんは、文校で学び書いた成果として、昨年10月に第1詩集『夜更けの椅子』(思潮社)を出版されました。次の2つは、関連する大阪文学学校ブログです。文校事務局では、遠野さんのご好意により、その詩集を無料でお分けしています。
●21年12月9日文校ブログ
●21年10月26日文校ブログ
(小原)