【6/17(土)】14:15~15:30・・・朝井まかてさんの講演会≪OIT梅田タワー≫/15:00~18:10・・・馳平啓樹さんの昼・文章講座≪文校教室≫/16:00~22:45「文校ニュース」6/17号の作成・封筒詰め
この日ぼくは、11:30に文校に来ました。12:00から予定されている大西クラス・津木林クラス合同の『樹林』在特(6月)号の合評会に備えて、教室のカギを開けるためです。
13:00過ぎに現われた事務局の佐々木さんと真銅くんと入れ替わって、13:30に文校を出ました。地下鉄の東梅田で降り地図をたよりに、一目散にヤンマーのビル裏のOIT梅田タワーへ。タワービルに着いたところで出会った美月・通教部チューターとともに、14:00開場の朝井まかてさんの講演会々場へ急ぎました。会場の入口近くで偶然、4、5人の女性たちに取り囲まれて談笑していた朝井さんを見つけました。そこに割り込ませてもらい、2人で簡単なあいさつをしました。
会場の中に入ると、定員をほぼ満たす70名ほどの参加者。講演が終わったらすぐ辞去しようと、出口近くの一番後ろに陣取って、会場内をみわたすも、文校生やOBの姿は確認できませんでした。定刻の14:15に《朝井まかてさん『ボタニカ』と牧野富太郎博士を語る講演会》は、始まりました。
朝井さんが去年1月に刊行した『ボタニカ』(祥伝社)は、いまNHKの朝ドラで放映されている【らんまん】のモデル・牧野富太郎の生涯を描いたものです。
講演会では、【らんまん】にも少し触れながら、主には富太郎と関西地方との関わりについて話されました。富太郎が高知にいた時分、頻繁に取り寄せていた植物学の図書は大阪・心斎橋にある書店からだったとのこと、富太郎が困窮していた時、彼の所持していた植物標本10万点を3万円(今なら1億円)で買い取った青年は神戸市の帝大生で素封家だったとのこと、東大阪市の樟蔭学園の植物園は万太郎が手掛けたものであるとのこと、いまも関西の方々に富太郎の標本が残っているとのこと・・・・・・。≪スライド上映も交えた樟蔭学園の話のところでは、田辺聖子さんは樟蔭の出身ですし、大阪文学学校も出ています。その文学学校には私も通っていました。とサラッと言い添えてくれました。≫
手元の原稿に眼を落としながらの講演は、主催者の紀伊國屋書店の担当者に「まだ時間をいただけますか」と問いかけてから、15分ほど延長され丁度15:30に終了しました。旺盛なサービス精神の持ち主である朝井さんは更に「人の話を聞いているだけでは退屈でしょうから、これから質疑応答の時間にしませんか」と会場に問いかけました。早速、前のほうで何人の手が挙がったところで、ぼくは退室せざるを得ませんでした。
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文校教室には、ほぼ16:00に到着しました。15:00開始の馳平啓樹さん(文校修了生の作家)の担当する昼・文章講座の真っ最中。馳平さんは、パワーポイントを使って自作の教材をスクーリン上に写し出しつつ講義をされていました。教室入口に置かれていた受付用紙を確認すると、教室出席は新入生5名をふくめて42名(うち一般6名、文校OB5名)でした。また、Zoom対応に当たっていた真銅くんに聞いたところでは、Zoom参加は新入生2名をふくめて10名(うち一般1名)とのことでした。
16:15頃、いったん休憩を取りました。ここで、事前の馳平さんとの打ち合わせに従ってぼくの出番。「酒は飲まない馳平さんですが、半年3回の講座のうち1回だけ、2次会をおこないたいとのことです。それを今日、馳平さんが文校生時代よく行っていた朝鮮料理店〈すかんぽ〉でおこないたいとのことです。行きたい方は手を挙げてもらえませんか。」とアナウンスし、挙手のあった数を〈すかんぽ〉へ電話予約しました。
講義を再開し、更に今回の提出作42編のうち馳平さんが選んだ8編の作者のマイクを通した自作朗読がありました。《作品提出42名中7名欠席》
18:15講座を終えて、馳平さんとともに〈すかんぽ〉に向かったのは11名。あとで聞いた話では、入れ替わり立ち代わりで馳平さんは質問攻めにあっていたそうです。
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馳平さんの講座の間じゅう、そしてその後も、事務局と印刷室では、真銅くんと二人で「文校ニュース」6/17号の作成に必死でした。版下全てが出来あがったのが20:00過ぎ、それから印刷機を回す一方で、A4サイズ20頁だてをコップの底で二つ折りにしたものを、通教生向けに封筒詰めしました。
22:45終了。事務局の冷蔵庫の中から瓶ビール2本を取り出し、2人でカンパーイ。
つづきは、6/19文校ブログへ。
(小原)