●新入生「ハガキ一枚」課題●・・・作品発表・第2弾【通教部・古松恵子さん/昼間部・錦織万里子さん】★提出まだの方は、急いでください。
今秋の新入生34名のみなさんに提出をもとめている〈課題ハガキ〉の既着分の中から、11/9文校ブログで取り上げた塩崎拓さんの作品に次ぐ第2弾として、古松恵子さん(通教部/65歳)の「文学学校入学にあたって」と錦織万里子さん(昼間部/58歳)の「私のふるさと」を紹介します。
〈課題ハガキ〉の締切は、11月25日(土)必着です。提出作品は全て、「文校ニュース」に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。
ハガキの代わりに、メールで送っていただいてもかまいません。むしろ、そのほうが助かります。 【小原】
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文学学校入学にあたって
古松恵子(通・エッセイ/ノンフィクション・菅野c 名古屋市)
私が、毎日読みもしない新聞をその日に限って熱心に読んでいたら、文学学校の募集がガツーンと入ってきた。その頃、母の介護に奔走しており、とりあえず記事を切り抜いた。しばらくして、入学意思も固まらぬまま事務局に電話をすると、「今なら入学名簿に載せてあげますよ」と。エスコートして下さるまま申込書をメールしたが、それでもまだ他人事だった。後日、作品締め切り日が三日後であることを認知した。書かねば~。中学生以来の作文だ。タイトルは、小学生が書きそうな「母の事」。縦書きの原稿用紙も五十年ぶりかもしれない。横書きで枠のない紙に書くのとは頭の働き方が違うかと思うぐらい書き難かった。書き上げてから、私をここまで育ててくれたのを当たり前と思っていたのに気がついた。お詫びをした。今日も母は何度も同じ話を繰り返す。そんな母が愛おしく思えた。紙に書くとは 神に書く事と聞いた覚えがある。飾り立てるような嘘は書けない、誰かの真似をしたようなきれいな言葉も使えない、ただありのままの等身大の自分を書くしかない。歳を重ねて、自分の感性が鈍っていくようで怖いが、これからも 今の自分を精一杯書いていきたいと思う。
※小原:注)冒頭に出てくる「新聞」とは、今年9月21日付「中日新聞」のこと。
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私のふるさと
錦織万里子(昼・小説・佐伯c 兵庫県尼崎市)
私のふるさとは、天智天皇が数年間だけ遷都した大津京跡地に指定されている。琵琶湖の西岸、美しい琵琶湖の向こうには近江富士と言われる三上山が見えた。朝には琵琶湖の東側から太陽が昇り、湖面にオレンジの線ができて、美しく、見惚れるほどだった。全ては過去形だ。私が大津を離れてから、数十年の間に琵琶湖の西岸にはマンションが壁のように立ち並び、今まで琵琶湖を眺めながら生きてきた人々から風景を奪った。天智天皇が、大海人皇子が、額田王が、見ていただろう美しい風景に壁ができた。とても悲しいことだ。京阪電車で二駅坂本寄りの滋賀里には天智天皇が築いた崇福寺跡があるが、その道中は今でも琵琶湖が一望できる。実家の裏山には、織田信長が作った宇佐山城跡がある。ここからの眺めも琵琶湖が一望できる。明智光秀の坂本城は、琵琶湖岸に建っていた。三井寺の観音堂からも琵琶湖が一望できる。比叡山延暦寺まで登れば、もっともっと琵琶湖が見渡せる。琵琶湖の西岸に住み着いた人は、いつの時代も琵琶湖が見渡せることが第一だった。癒しでもあり、敵が船で来るのもすぐわかる。2023年の琵琶湖花火大会には運営側が4mの壁を作り、遠方からの有料チケットを持った人だけに美しい花火を見せ、地元の住民は壁で見えなかった。琵琶湖は誰のモノだろうか? 昔からの住民をないがしろにして、琵琶湖周辺が壁だらけになっていくのは辛すぎる。国の大津京跡地指定のため、売るに売れない実家を横目に、新築マンションの壁群は、〇〇大津京と名付けて高く販売している。なんだかなあ・・・・・・いろいろ理不尽な今日この頃である。