【1月29日(日)/大阪文学学校】ご遺族5名を迎えて“高畠寛さんを偲ぶ会”。34名参席。
大阪文学学校チュター歴50年、大阪文学協会代表歴22年を数えた高畠寛さん(享年85)が逝去されてから1年余りが経った1月29日(日)、午後2時から“高畠寛さんを偲ぶ会”を文校で開きました。コロナ禍のために延びのびになっていましたが、やっと実現できました。
ご遺族(夫人、長女とその小5息子、次女とその中2娘)5名に、葉山代表理事、細見校長、現チューター6名、元チューター2名、現文校生5名、文校修了生11名、事務局3名、皆で34名の参席がありました。遠くは愛知県、三重県、岡山県、香川県などから駆け付けられた方もいました。
文校教室の前方左側に、高畠夫人に自宅から持参していだいた高畠さんの遺影を真ん中にして簡素な祭壇を設けました。
“偲ぶ会”の第1部の冒頭、司会の葉山郁生・大阪文学協会代表理事【写真/前方中央】の発声で、高畠さんに黙祷がささげられました。
その後、高畠さんにゆかりのあった参会者から、小説集や評論集など12冊の著書をもつ高畠さんの《人と文学》が語られました。・・・・・・スピーチ順にチューター団から細見和之(校長)・奥野忠昭・日野範之・佐伯晋・津木林洋・中塚鞠子・美月麻希・石村和彦・西村郁子の各氏、さらに高畠さんが中心的にかかわっていたグループから三原后代(エコー読書会)、高原あふち(同人誌「あるかいど」)、高松博子(同人誌「空とぶ鯨」)の各氏、最後の登壇は小原政幸(事務局長)でした。なお、佐伯晋さんはスマホを駆使して、在りし日の高畠さんの姿をスライド上映してくれました。
第1部の最後のほうで、ご遺族からあいさつを受けました。夫人から家で高畠さんの執筆する姿や一緒に行った国内外の旅行のことなどを話していただいたあと、長女・佐麻里さんと次女・友由紀は高畠さんの日常の生活ぶりをユーモラスに浮かび上がらせてくれました。
第1部が終了したのは、午後3時45分ごろ。
“偲ぶ会”の第2部・懇親会は、愛知県の通教部修了生・住田真理子さんの献杯の音頭ではじまりました。
第2部では、第1部で話することのなかった全員に自分の席から、マイクを通して、高畠さんにまつわるエピソードや思い出、そして自分の近況についてしゃべってもらいました。
また、あらかじめ寄せられていた高畠さんを悼む「メッセージ」が3通、第1部・第2部の中で代読されました。3通は、同人誌「空とぶ鯨」の関東の中心メンバー3名(辻村仁志・田村けい・森ゆみ子さん)連名、同人誌「あるかいど」の木村誠子さん、夏当紀子・文校昼間部チューターからでした。
このコロナ下、久しぶりにまみえる機会となった人同士も多く、お酒がすすんでいました。流れ解散でしたが、10名ほどは7時30分過ぎまで残っていました。